【日本人にとっての天皇とは?】わかりやすく解説

日本の皇室

 

   日本の未来を応援するブログの管理人としては、皇室を語らなければなら始まりません。

新しい令和という時代を迎えて皇室を意識する機会が増えたこの時に、改めて今、日本と皇室について考えてみます。

 

 

現存する世界最古の王朝

 

2019年5月1日、徳仁(なるひと)天皇が126代目の天皇としてご即位されました。

126代は時間にして、初代神武天皇が即位されてからなんと2679年(2019年現在)。

とてつもなく永い時間、皇室は日本列島と民衆を統治してきたと言う事です。

 

初代神武天皇は、日本書紀や古事記などの神話の中の存在という見方があります。

たしかに、神話の中の逸話には非現実的なものが多くあります。

例えば神武天皇は、古事記で137歳、日本書紀でも127歳まで生きた、現代でも考えられないくらいにご長寿の方なのです。

 

それでは、神話を横において、考古学的観点から考えてみます。

考古学では、様々な説はありますが第26代の継体天皇が存在した事はほぼ確実視されています。

現実的な考えでも約1600年という永きに渡って歴史を繋いで来たという事になります。それが今の日本の皇室であり皇統なのです。

 

これは、世界で現存する27の王朝の中で最古の王朝です。

 

 

一番下の赤ラインが日本の皇室の歴史です。

世界には、ローマ字帝国やピザンツ帝国、オスマン帝国など、壮絶な争いの果てに消滅した王朝がたくさんあります。

おとなりの中国では王朝の興隆と没落を繰り返し、清朝最後の皇帝『愛新覚羅・溥儀』を最後に王朝は廃絶しています。

 

そんな中で日本の皇室は、万世一系にて世界最古の王朝を持っている、世界でも奇跡的存在なのです。

 

 

なぜ皇室は永く続けられるのか?

 

それではなぜ日本の皇室はこれだけ永い時間に渡って続いてきたのでしょうか?

 

 様々な見方がありますが、この要素が極めて重要です。

 

権威と権力を分離して統治した事

 

日本は有史以来、権威と権力を分離してきました。

どんなに武力が中心となった戦国時代でも「権威」は天皇であり、「権力」は征夷大将軍と、この二つはわかれていました。

武力で制圧した者は権力を持つのですが、その権力者に「権力」を与えるのが権威者である天皇だったのです。

これは、現代でも同じです。

平和な世の中となり、当時の権力争いは武力が選挙に変わりましたが、選挙に勝った政府や総理大臣に権力を与えるのが「権威」である天皇なのです。

皇室から認められなければ権力者は権力を保持出来ないのが日本の歴史です。

ですから、権力者による権威への反乱が生まれる事はありませんでした。

また、日本人は絶対権力者という存在を嫌い、権威としての皇室を大切にしてきた事で、有史以来、独裁体制を生まなかった要因となったのです。

 

 

出典:現代ビジネス

これは、近年における日本人の皇室に対する意識調査です。

「好感」が増えてきてとても良い傾向ですが、注目すべきは「反感」が一貫して少ないという事でしょう。

 

戦後は天皇陛下の戦争責任など、左派から攻撃を受ける事もありますが、それでもこのように長い間、皇室が権威を持ち続けてきた背景には民衆からの支持があったのです。

 

 

神道と日本

 

絶対権力者を嫌った日本人の感性の基には、多神教である神道の存在があるように思います。

 

神道(しんとう、しんどう)は、日本の伝統的民俗信仰。惟神道(かんながらのみち)ともいう。教典や具体的な教えはなく、開祖もおらず、神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづく多神教。自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた

Wikipediaより引用

 

天皇陛下は、神道の最高祭司としての1600年以上の永きに渡って国民の為に祈り続けてきました。

神道とは、日本の伝統民俗的信仰です。

私たちは、初詣でには神社で参拝をしますし、厄年には神社でお祓いをしてもらいます。

あまりにも生活に根付いていて、神社を意識する事も少ないかもしれませんが、これは日本独自のれっきとした信仰です。

日本は八百万の神々が住む神の国であり、地域には神社があり、その神道の最高祭司が天皇陛下であるということです。

天皇陛下は日々の祭祀を通して日本の安寧、国民の幸せの為に祈っているのです。

古くから皇室は民とともにあり、民も皇室を守ってきたのです。

 

 

画像:新嘗祭

出典:sankei.com

 

 

皇位継承問題と女系天皇

 

ここで、昨今騒がれている皇位継承の問題について記します。

昭和40年の秋篠宮文仁親王殿下以来、皇室に男子が誕生しなかった事もあり、皇位継承する男子が不足する問題が浮上しました。

2006年に悠仁親王殿下が誕生したものの、皇位継承者が不足する問題は依然として残っています。

 

この問題を解決するには、以下の様な事が考えられます。

 

旧宮家(旧皇族)の復帰

側室制度を復活させる

 

旧宮家の復帰

 

旧宮家(旧皇族)とは、昭和22年に皇籍離脱した11宮家51名の元皇族です。

天皇の男系子孫であるため、この方々に皇族への復帰をお願いするという案が浮上しています。

ただ、旧皇族の方々も皇籍を離脱して通常の生活に戻られてから約70年ものの歳月が経過しています。

旧宮家の方々にとって皇族に復帰出来るかどうかは、なかなか難しい判断でしょう。

 

側室制度の復活

 

 大正末期に、側室制度が廃止されました。

これには世界的な流れや皇族のご意思があったといいますが、男系の皇位継承存続に大きな影響があったのは事実です。

事実、過去400年間では側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇、124代の昭和天皇、125代の前天皇の3人のみと言われています。

 

とは言え、2019年現在、男女平等や男女差別撤廃への動きの中で側室制度を復活させる事はやや無理があるでしょう。

 

 

女系天皇容認論の愚

 

もう一つ、皇位継承問題の解決法としてあげられるのが女系天皇容認論です。

ここまでお読み頂けた方には、女系天皇天皇を認めるという事はどういう事か理解いただけるのではないでしょうか?

 

昨今、皇位継承への対策として「女性天皇」「女系天皇」の2つを容認するという論調があります。

ここで否定をしておきたい事は、「女系天皇容認論」です。

 

まずは、女性天皇と女系天皇の違いを説明します。

女系天皇

男系天皇の血を受け継いだ女性の天皇。

過去の例

  • .1 第33代推古天皇
  • 3.2 第35代皇極天皇
  • 3.3 第37代斉明天皇
  • 3.4 第41代持統天皇
  • 3.5 第43代元明天皇
  • 3.6 第44代元正天皇
  • 3.7 第46代孝謙天皇
  • 3.8 第48代称徳天皇

 

女系天皇

男系の血を受け継がない天皇

 

過去に例は無し

 

 

女性天皇と女系天皇では、その意味が全く異なります。

女性天皇を認めるという事は、今の愛子内親王が天皇に即位する事を認めるという事です。

しかし女系天皇を認める事ではありません。

愛子内親王は、男系の血(現天皇陛下)を引いていますので、女系天皇ではないのです

 

女系天皇となると過去に例がありません。

 

女系天皇とは、現代においては愛子内親王が皇族ではない民間の男性と結婚し、その2人の間に生まれた子供が天皇になった場合です。

 

 女系天皇の容認とは、今まで記してきた万世一系、神武天皇から始まった男系による2600年(考古学観点から1600年に)も続いてきた皇統が断絶する事を意味するのです。

 

 

 

この場合、神話から2700年のあいだに男系でつないできた万世一系が私たちの世代、私たちの価値観で断絶してしまうという事です。

こうなれば、日本国内はもちろん、世界的な権威も失墜する恐れがあります。

少なくとも現在の皇室はその存在意義自体が揺らいでくるでしょう。

それは今まで、日本列島の安寧を紡いできた我々の子孫の意思すらも無視する事につながるのです。

 

難しい判断だとは思いつつも、旧宮家の方々に復帰してもらうしか方法は無いのではないかと私は考えています。

 

あとがき

 

天皇の戦争責任について

 

日本は本当に不思議な国です。

 

最後に、近年の皇室への批判について私の見解を記しておきます。

第二次世界大戦の敗戦時にGHQの占領を受けるまではアジアにおいて他国からの侵略を受けなかった稀有な国です。

また、敗戦しても尚、皇室は廃止とならずに今までその形を残しています。

 

第二次世界大戦終戦時も、権威と権力の分離が力を発揮しました。

今現在でも、広島と長崎に原爆が落とされたのは、天皇の終戦への判断が遅すぎたという批判があります。

 

しかし、私にとってはこれはまったくの見当違いの批判です。

そもそも陛下に戦争を終わらせられる権限はありません。

第二次世界大戦の終戦、日本がポツダム宣言を受諾する事を決めた御前会議でも、時の内閣において判断が下せないでいました。

軍部と政府の話がまとまらずに、最後の手段で鈴木貫太郎首相は、昭和天皇にご判断を仰いだのです。

 

通常であれば用意される御本(御前会議の筋書きを書いた台本)もない、異例の御前会議は、両派が意見を述べ合うばかりで、意見の一致は見られなかった。

日付が変わり、8月10日午前2時を回ったところで、鈴木貫太郎首相が昭和天皇の意見を求めた。

「まことに異例で畏多いことでございまするが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」

促された昭和天皇は言明した。

「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である」

この瞬間、1条件でのポツダム宣言受諾が決まった。いわゆる「聖断」が下された。

同席していた迫水久常・内閣書記官長によれば、昭和天皇は続けて以下のように語ったという。

大東亜戦争が初まってから陸海軍のして来たことを見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。

今陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。

先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆んど出来ていないようである。

又先日編成を終った或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない有様である事が判った。

このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。

そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか。自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。

今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上って貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。

それにこのまゝ戦を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、自分のことはどうなっても構わない。堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である。

史料紹介―最後の御前会議における昭和天皇御発言全記録 | チャンネルNipponより)

 

 

昭和天皇のご聖断は今から考えるとごもっともな意見ですが、これも鈴木貫太郎首相に求められてはじめて発せられるご意見なのです。

 

もし、陛下からのご意見が命令として下ってしまえば、陛下にも戦争責任が問われてしまいます。

そうなれば、陛下が軍事裁判にかけられてしまう事になるのです。

 

これが、権威と権力の分離であり、日本が永きに渡って皇室と共に発展してきた所以なのです。

 

改めて、日本とは本当に不思議な国です。

2600年にという悠久の歴史を持ちながらも尚、先進国の地位を確保しながら独自の文化圏を繁栄させています。

神道の最高指導者として、ローマ法王のようなお仕事をされる一方で、国家元首として君臨されている天皇陛下は世界からも注目されています。

 

もしかしたら、皇室のありがたさを知らないのは、私たち日本人自身なのかもしれません。

 

今一度、私たちは先人たちが作り上げてきた奇跡のありがたみに気づき、それをまた次世代に繋げて行くためにできる事を考えて見たいものです。

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