天皇とは何か?【わかりやすく解説】

日本の天皇

 

恐れ多くも日本の未来を応援するブログの管理人としては、皇室を語りたいと思います。

 

天皇とは何か?

日本人にとっての皇室とは?

 

わかりやすく語りたいと思います。

 

✅本記事はこんな方におすすめ

 

✔️ なんだか皇室に親近感を感じる

✔️ 天皇と皇室について興味がある

✔️ 日本が好きだ

 

それでは、天皇とは何かについて迫ります。

 

 

天皇とは?

 

画像出典:BBC 即位の例

 

令和元年5月1日、徳仁(なるひと)天皇が126代目の天皇としてご即位されました。

 

126代

 

-今からさかのぼる事2680年

 

初代の天皇は神武天皇です。

 

画像出典:Wikipedia・神武天皇

 

 

とてつもなく永い時間、皇室は日本人と共に歩んで来ました。

 

初代神武天皇は、日本神話の中の存在であり現実的に存在していなかったという見方があります。

 

たしかに、神話の中の逸話には非現実的なものが多くあります。

 

例えば神武天皇の年齢は

古事記では137歳

日本書紀では127歳

現代でも考えられないくらいにご長寿の方なのです。

 

では、一旦神話を横において、考古学的観点から考えてみます。

 

考古学では、様々な説はありますが第26代の継体天皇が存在した事はほぼ確実視されています。

 

画像:継体天皇

 

現実的にも約1600年という永きに渡って日本の歴史を繋いで来たという事になります。

 

それが今の日本の皇室であり皇統なのです。

 

実は日本の皇室、天皇は

世界で現存する27の王朝の中で

最古の王朝です。

 

 

一番下の赤ラインが日本の皇室の歴史です。

 

世界には、ローマ字帝国やピザンツ帝国、オスマン帝国など、壮絶な争いの果てに消滅した王朝がたくさんあります。

 

おとなりの中国では王朝の興隆と没落を繰り返し、清朝最後の皇帝『愛新覚羅・溥儀』を最後に王朝は廃絶しています。

 

そんな中で日本の皇室は

世界最古の王朝を持つ世界でも奇跡的存在

なのです。

 

天皇と日本神話

 

 

それではそもそも、初代天皇である神武天皇とは一体どのような方なのでしょう?

 

皇室のルーツを辿れば、2つの日本神話に行き着きます。

 

日本最古の神話

 

✔️ 古事記 (712年)

✔️ 日本書紀 (720年)

 

『古事記』は712年に、天武天皇の命を受けて太安万侶によって編纂されました。

 

同じく天武天皇が川島皇子以下12人に対して、編纂を命じた事で、720年に『日本書記』が成立します。

 

古事記は日本で現存する最古の歴史書と言われています。

 

古事記と日本書紀は、合わせて『記紀』と呼ばれ、日本の誕生から、八百万(やおよろず)の神々が織りなす神話が描かれます。

 
 
そして、神々(天照大神)の血をひく天皇が日本を統治していくまでの歴史が記されているのです。
 
 
 
 
 
画像出典:Wikipedia 天照大神(あまてらすこおみかみ)
 
 
 
 
神話の中で、神々の血を引く天照大神が日本を統治する事となります。
 
 
そして、天照大神から五代。
 
 
日本の初代天皇として神武天皇が即位されるのです。
 
 
 
 
山本健造著『明らかにされた神武以前』福来出版より引用色付けは筆者による
 
 
 
このように日本の皇室のルーツを辿れば、日本という国が作られた神話に行きつくのです。
 
 
 
古事記のあらすじを一部、紹介します。
 
 

神の結婚天つ神から国土の修理固成しゅうりこせいを命じられ、あめ沼矛ぬぼこを授かった伊耶那岐(イザナキ)と伊耶那美(イザナミ)は、天の浮き橋に立って沼矛を下界に指し下ろして掻き回した。

そして引き上げた矛の先から滴り落ちた塩が重なって島ができあがった。それがオノゴロ島である。

イザナキとイザナミはオノゴロ島に降って二神で男女の交わりをして国々を生もうとする。

あめ御柱みはしらを左右から廻って声を掛け合い、結婚して子をなしたが、最初に生まれた水蛭子ひるこは、葦船あしふねに入れて流してしまった。

次に生まれた淡島あわしまも、子の数には入れなかった。

二神は、女神の方から先に声を掛けたのが良くなかったのだと思って天つ神にそのことを確認した上で、婚姻のやり直しをし、改めて国生みを開始。

淡路島・四国・隠岐島・九州・壱岐島・対馬・佐渡島・本州を生み、それから六つの小島を生み、その後に今度はさまざまな神々を生んだ。

神々を生み続けていくうちにやがて火の神を生んだイザナミは、病になってしまう。

引用元

 

このように、古事記には日本列島が生まれた経緯とともに、神々の織りなす神話が記されているのです。(赤字部分参照)

 
 
 
 

皇室・天皇が続く理由

 

なぜ日本の皇室は神話から続く他方もなく永い間、現在まで続いてきたのでしょうか?

 

 様々な見解が聞かれますが、この要素が極めて重要です。

 

権威と権力の分離

 

日本は有史以来、権威と権力を分離してきました。

 

日本はどれほど武力が中心な世の中になろうとも、権威と権力が分かれて統治されて来ました。

権威・・・・・・天皇

権力・・・征夷大将軍

 

武力で制圧するだけで征夷大将軍という権力を手にできるわけではありません。

 

✔️

天皇が権力者に「権力」を与えて、はじめて征夷大将軍は将軍としての権力を持つ

 

これは、現代でも同じです。

 

民主主義の現代は権力争いが選挙に変わりましたが、今でも選挙に勝った総理大臣を任命するのは天皇なのです。

 

これは、天皇が「権威」である証左です。

 

皇室から認められなければ権力者は権力を保持出来ないのが日本の歴史です。

 

ですから、権力者による権威への反乱が生まれる事はありませんでした。

 

また、日本人は絶対権力者という存在を嫌い、権威としての皇室を大切にしてきました。

これが有史以来、独裁体制を生まなかった要因となったのです。

 

 

出典:現代ビジネス

 

これは、近年における日本人の皇室に対する意識調査です。

 

最近は「好感」が増えてきてとても良い傾向ですが、注目すべきは「反感」が一貫して少ないという事でしょう。

 

終戦後は、天皇の戦争責任が追及される事もありましたが、GHQは皇室の存在をあえて残したと言われています。

 

それは、永きに渡って国民から慕われて来た皇室をなくして安定的に戦後の統治は不可能だと判断したからでしょう。

 

画像:終戦後に巡幸される昭和天皇と国民の熱狂

 

また、権力と権威の観点からも国際法において昭和天皇に戦争責任は問えません。

なぜなら、第日本帝国憲法下では立憲君主制を取っていたからです。

 

『君臨すれども統治せず』

 

実際の権力行使は議会が行い、君主は権威として存在する立憲君主制を採っていました。

 

昭和天皇は議会が決議したことを拒む事が出来ません。 

 

ただ終戦時、一回だけ天皇が政治判断を決定した場面があります。

 

それは、第2次世界大戦において日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を決めた時です。

この時だけは、議会の意見が分断し、当時の首相である鈴木貫太郎が昭和天皇にご聖断を求めたのです。

 

午前2時すぎ、鈴木首相は天皇の決断を求めた。天皇は本土決戦の準備が整っていないことを指摘した上で(以下昭和天皇のご発言)

之でどうして戦争に勝つことが出来るか。
勿論忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰等、其等の者は忠誠を尽した人々で、それを思うと実に忍び難きものがある。
而し今日は忍び難きを忍ばねばならぬ時と思ふ。
明治天皇の三国干渉の際の御心持を偲び奉り自分は涙をのんで、ポツダム宣言受諾に賛成する。
 
 
 
画像出典:Wikipedia 御前会議
 
 
 
こうして日本は本土決戦を回避し、間一髪の所で滅亡を免れたのかもしれません。
 
 
 
 

神道と日本

 

私は絶対権力者を嫌った日本人の感性の基には、日本神話をルーツをに持つ八百万の神々、神道の存在があると考えています。

 

神道(しんとう、しんどう)は、日本の伝統的民俗信仰。惟神道(かんながらのみち)ともいう。

教典や具体的な教えはなく、開祖もおらず、神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづく多神教。

自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた

Wikipediaより引用

 

天皇陛下は、神道の最高祭司としての1600年以上の永きに渡って国民の幸福の為に祈り続けてきました。

 

私たちは、初詣でには神社で参拝をしますし、厄年には神社でお祓いをしてもらいます。

あまりにも生活に根付いていて、神社を意識する事も少ないかもしれませんが、これは日本独自のれっきとした信仰です。

 

日本は八百万の神々が住む神の国であり、地域には神社があります。

その神道の最高祭司が天皇であるということです。

天皇陛下は日々の祭祀を通して日本の安寧、国民の幸せの為に、いつも祈っているのです。

古くから皇室は民とともにあり、民も皇室を守ってきたのです。

 

出典:sankei.com

 

万世一系とは?

 

日本の皇室は神武天皇の即位から万世一系で現代まで続いています。

 

日本国紀 33頁 コラム

ここで「万世一系」ということについて、簡単に説明しよう。

日本の天皇は二代目の綏靖天皇から第百二十五代の今上陛下まですべて、初代神武天皇の男系子孫である。

男系とは、父、祖父、曾祖父と、男親を辿っていけば、祖先に神武天皇がいるという血筋を持っていることをいう。

出典:百田尚樹著・日本国紀

 

約1600年の間、男系天皇によって皇統が繋がれてきました。

これを万世一系と言います。

最近よく聞かれる、女系天皇容認論と照らし合わせて考えてみます。

 

女系天皇容認論

 

昭和40年の秋篠宮文仁親王殿下以来、皇室に男子が誕生しなかった事もあり、皇位継承男子が不足する問題が浮上しました。

 

おめでたくも2006年に悠仁親王殿下が誕生しましたが皇位継承者不足の問題は依然として残っています。

 

この問題を解決するに、いくつかの案が考えられています。

 

✔️  旧宮家(旧皇族)の復帰

✔️ 側室制度の復活

✔️ 女系天皇の容認

 

①旧宮家の復帰

 

旧宮家(旧皇族)とは、昭和22年に皇籍離脱した11宮家51名の元皇族です。

神武天皇からの男系の血筋を持つ旧宮家の方々に、皇族への復帰をお願いするという案が浮上しています。

ただ、旧皇族の方々も皇籍を離脱して通常の生活に戻られてから約70年ものの歳月が経過しています。

旧宮家の方々にとって皇族に復帰するのも、簡単ではないでしょう。

 

②側室制度の復活

 

 大正末期に、側室制度が廃止されました。

これには世界的な流れや皇族のご意思があったといいますが、男系の皇位継承存続に大きな影響があった事は事実です。

事実、過去400年間では側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇、124代の昭和天皇、125代の前天皇の3人のみと言われています。

とは言え、2020年現在、男女平等や男女差別撤廃への動きの中で側室制度を復活させる事はやや無理があるでしょう。

 

女系天皇容認論

 

もう一つ、皇位継承問題の解決法としてあげられるのが女系天皇容認論です。

ここまでお読み頂けた方には、女系天皇天皇を認めるという事はどういう事か理解いただけるのではないでしょうか?

 

昨今、皇位継承への対策として「女性天皇」「女系天皇」の2つを容認するという論調があります。

ここで否定をしておきたい事は、「女系天皇容認論」です。

 

まずは、女性天皇と女系天皇の違いを説明します。

女系天皇

男系天皇の血を受け継いだ女性の天皇。

過去の例

  • .1 第33代推古天皇
  • 3.2 第35代皇極天皇
  • 3.3 第37代斉明天皇
  • 3.4 第41代持統天皇
  • 3.5 第43代元明天皇
  • 3.6 第44代元正天皇
  • 3.7 第46代孝謙天皇
  • 3.8 第48代称徳天皇

 

女系天皇

男系の血を受け継がない天皇

 

過去に例は無し

 

 

女性天皇と女系天皇では、その意味が全く異なります。

女性天皇を認めるという事は、今の愛子内親王が天皇に即位する事を認めるという事です。

しかし女系天皇を認める事ではありません。

愛子内親王は、男系の血(現天皇陛下)を引いていますので、女系天皇ではないのです

 

女系天皇となると過去に例がありません。

 

女系天皇とは、現代においては愛子内親王が皇族ではない民間の男性と結婚し、その2人の間に生まれた子供が天皇になった場合です。

 

 女系天皇の容認とは、今まで記してきた万世一系、神武天皇から始まった男系による2600年(考古学観点から1600年に)も続いてきた皇統が断絶する事を意味するのです。

 

この場合、神話から2700年のあいだに男系でつないできた万世一系が私たちの世代、私たちの価値観で断絶してしまうという事です。

こうなれば、日本国内はもちろん、世界的な権威も失墜する恐れがあります。

少なくとも現在の皇室はその存在意義自体が揺らいでくるでしょう。

それは今まで、日本列島の安寧を紡いできた我々の子孫の意思すらも無視する事につながるのです。

 

難しい判断だとは思いつつも、旧宮家の方々に復帰してもらうしか方法は無いのではないかと私は考えています。

 

あとがき

 

日本は本当に不思議な国です。

 

さまざまな危機が内外から発生しようとも、皇室と国民は常に一緒に乗り越えてきました。

 

改めて最後に、近年の皇室への批判や天皇制について、私の見解を記しておきます。

 

日本はGHQの占領を受けるまでは、アジアにおいて他国からの侵略を受けなかった稀有な国です。

また、敗戦しても尚、皇室は存続して万世一系のまま古代から続いています。

 

第二次世界大戦終戦時も、権威と権力の分離が力を発揮しました。

今現在でも、広島と長崎に原爆が落とされたのは、天皇の終戦への判断が遅すぎたという批判があります。

しかし、私にとってはこれはまったくの見当違いの批判です。

前述の通り、そもそも陛下に戦争を終わらせられる権限はありません。

第二次世界大戦の終戦、日本がポツダム宣言を受諾する事を決めた御前会議でも、時の内閣において判断が下せないでいました。

軍部と政府の話がまとまらずに、最後の手段で鈴木貫太郎首相は、昭和天皇にご判断を仰いだのです。

 

通常であれば用意される御本(御前会議の筋書きを書いた台本)もない、異例の御前会議は、両派が意見を述べ合うばかりで、意見の一致は見られなかった。

日付が変わり、8月10日午前2時を回ったところで、鈴木貫太郎首相が昭和天皇の意見を求めた。

「まことに異例で畏多いことでございまするが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」

促された昭和天皇は言明した。

「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である」

この瞬間、1条件でのポツダム宣言受諾が決まった。いわゆる「聖断」が下された。

同席していた迫水久常・内閣書記官長によれば、昭和天皇は続けて以下のように語ったという。

大東亜戦争が初まってから陸海軍のして来たことを見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。

今陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。

先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆んど出来ていないようである。

又先日編成を終った或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない有様である事が判った。

このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。

そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか。自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。

今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上って貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。

それにこのまゝ戦を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、自分のことはどうなっても構わない。堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である。

史料紹介―最後の御前会議における昭和天皇御発言全記録 | チャンネルNipponより)

 

 

昭和天皇のご聖断は今から考えるとごもっともな意見ですが、これも鈴木貫太郎首相に求められてはじめて発せられるご意見なのです。

 

もし、陛下からのご意見が命令として下ってしまえば、それこそ陛下も戦争責任が問われてしまいます。

 

そうなれば、最悪は陛下が軍事裁判にかけられてしまう事になるのです。

 

これが、権威と権力の分離であり、日本が永きに渡って皇室と共に発展してきた所以なのです。

 

日本とは本当に不思議な国です。

 

2600年にという悠久の歴史を持ちながらも尚、先進国の地位を確保しながら独自の文化圏を繁栄させています。

 

神道の最高指導者として、ローマ法王のようなお仕事をされる一方で、国家元首として君臨されている天皇陛下は世界からも注目されています。

 

もしかしたら、皇室のありがたさを知らないのは、私たち日本人自身なのかもしれません。

 

今一度、私たちは先人たちが作り上げてきた奇跡のありがたみに気づき、それをまた次世代に繋げて行くためにできる事を考えて見たいものです。

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日本の未来を応援するネコ

日経平均株価の最高値更新を祝して美味しいお酒を飲める日を心待ちにしています。テクノロジーの発展と豊かで明るい未来を想像しながら、今日も『時代おくれ』を聴いています。