・小日本主義って何?
・石橋湛山についてわかりやすく知りたいです!
本記事はこんな疑問を解消します。
本記事の結論
- 石橋湛山は異端の人物だった
- 小日本主義とリフレ主義を提唱
- 日本には石橋湛山の政策が必要
目次
石橋湛山とは?
石橋湛山(いしばしたんざん)は第55代内閣総理大臣をつとめた人物で、戦前には小日本主義やリフレ主義などを主張した人物です。
(在職期間)昭和31年12月23日~昭和32年2月25日
石橋湛山は病のために65日間という短い期間で内閣総理大臣を辞職することとなります。
他方で、政治家以外には東洋経済新報社の社長も務め、経済思想を研究と発信をつづけました。
石橋湛山は戦前、大日本主義を進める日本の植民地政策に対して『小日本主義』を唱えて、高コストである日本の植民地政策への批判と、貿易立国への転身を主張しました。
石橋湛山の経済思想
それでは石橋湛山が主張した政策の特徴を大きく2つに分けて解説します。
湛山の主張
- 再分配政策
- リフレ政策
①:再分配政策
湛山は、物の生産量を爆発的に増やした19世紀の産業革命に対して、20世紀には『人』中心の産業革命が必要だと提言しました。
人中心の産業革命とは、物だけを大量に生産しても人々の幸せに直結はしづらく、生産した物が必要な人々に公平に行きわたることが必要だという考え方です。
石橋湛山は戦前から戦後に至るまで一貫して、人を豊かにする経済政策を主張していました。
また、石橋湛山は再分配の具体的な施策として、労働・生活環境の改善と教育の充実を掲げています。
湛山は当時の大きく過ぎる日本の軍事費は、『生産力の増加につながらない消極的な支出』であり、「教育や、 衛生、社会改良のための支出」は生産そのものの増加を目的とする経費として、その拡充を求めました。
現代は、当時の安全保障環境とは大きく異なり、防衛費も少なすぎる予算のため、これはこれで問題です。
湛山が富の再分配として掲げた政策の注目すべき点は、教育への分配を重要視していたことです。
教育への投資は決して無駄にはなりません。 生産力の上昇や科学技術の進化と言った形で、大きく人々の豊かさに貢献するのです。
残念ながら、現代の日本では財務省の予算削減路線によって、教育への公支出は世界でも最低水準になっています。
画像 シノドス
石橋湛山にとっての経済学、経済政策とは究極的には人々の幸福を拡大する為に行うという考え方が根底にあったのです。
②:リフレ政策
古くからリフレ政策によって経済を成長させることを主張していたのが石橋湛山でした。
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第一次世界大戦が終わり、戦争需要の激減を発端として恐慌の足音が日本に忍びよっていました。
不安定化した為替相場安定化が望まれる中、世界各国が次々と金本位制へと復帰してゆきます。
1929年、アメリカ株の大暴落によって発生した世界恐慌という大デフレ不況は、金本位制という世界的な緊縮政策の流れの中で起こります。
石橋湛山は、世界恐慌がおこった当時から、不況の下で行うリフレ政策によるデフレ不況からの脱却を主張し続けたのです。
しかし石橋湛山の主張もむなしく、井上財政で有名な井上準之助蔵相は金本位制への復帰を強行しました。
金本位制への復帰は、金(きん)の量しか通貨を発行できませんから、事実上の金融引き締め政策となります。
当然この後に日本を待ち受けていたのは、大デフレ不況でした。
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失業率の悪化、物価の下落を経て、農村では身売りが多発するほどの貧困に見舞われることとなります。
結局、金本位制は2年で終わりを迎えました。
その後、大蔵大臣を務めた高橋是清は石橋湛山の主張を取り入れて、リフレ政策を敢行します。
高橋是清の、金融緩和によるリフレ政策と、積極的な財政出動による再分配政策によって、日本の景気は一気に回復し、日本は世界でいち早く不況から脱却します。
湛山の主張するリフレ政策の効果を世界中に知らしめたのです。
この政策は、現代の日本も見習うべきポイントが多く存在します。
小日本主義
石橋湛山と言えば、小日本主義を真っ先に浮かべる人も多いでしょう。
小日本主義は単なるイデオロギーではなく、精密なデータと論理に基づいて主張されていました。
湛山は、植民地の維持や獲得にかかる費用が極めて高コストであり、経済、軍事両面で国民の幸福に貢献しないと考えました。
植民地の全面放棄によって軍事費を削減し、可処分所得が増加することで国内経済は発展し、国力の底上げから戦争のリスクすら低下させる効果を唱えます。
「さればもし我が国にして支那(現中国)またはシベリヤを我が縄張りとしようとする野心を棄つるならば、満州、台湾、朝鮮、樺太等も入用ではないという態度に出づるならば、戦争は絶対に起こらない。従って我が国が他国から侵さるるということも決してない。論者は、これらの土地を我が領土とし、もしくは我が勢力範囲としておくことが、国防上必要だと言うが、実はこれらの土地をかくしておき、もしくはかくせんとすればこそ、国防の必要が起こるのである。それらは軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起った結果ではない」
この石橋湛山の言葉はやや難解なため要約してみましょう。
要約
日本が中国やシベリア、朝鮮や満州への軍事的進出を放棄する態度になれば、戦争は起こらない。
あなた方は、軍事的進出による縄張りの確保が国防上で必要だというが、この軍事的進出のせいで国防が必要になっているのだ。
歴史を『たられば』で語ることは無意味であると言われますが、当時の帝国主義的な風潮の中で日本が小日本主義の方針を採用していた場合の事を考えてみることは無意味ではないでしょう。
欧米列強から占領地の放棄を迫られて開戦に踏み切り、軍拡、領土拡張の末に多くの死傷者と経済的損失を被った歴史からは、学ぶこと多くあるでしょう。
そもそも最大の貿易相手国であるアメリカとの衝突は、大日本帝国に不幸をもたらすことは明白でした。
湛山は、現代の左翼が主張するような武力放棄からの極端な反戦自由主義ではなく、経済学的に緻密に、合理的に国民の幸福につながる思想を持っていました。
戦後の吉田内閣の大蔵大臣として、総理大臣として日本戦後復興のベースを作った重要な人物が石橋湛山なのです。
まとめ
本記事のまとめ
- 湛山が考える経済政策は究極的には人の幸福を作るため
- リフレーションは人の幸福を最大限に高める為に必須な政策
- 金融と財政の拡張に伴って人への再分配を行い国民経済を成長させる
- 高コストである植民地政策を転換すべきと主張
- 自由貿易を行うことによって両国の厚生を向上させ、結果として戦争のリスクを低下させようとした
石橋湛山はただ単純に植民地政策を高コストとして批判していたわけではなく、日本の植民地政策の非効率性を批判していました。
現代の平和主義など情緒的なイデオロギーではなく、緻密な経済学的合理性に基づいて帝国主義一色に染まった当時の政策を批判したのです。
石橋湛山は一貫してこの小日本主義、リフレ政策の重要性を主張しつづけて、帝国主義に染まってゆく日本政府や軍部と壮絶な争いを展開します。
小日本主義の主張すらはばられる時代に、一貫して声高に叫んだ人は石橋湛山をはじめとして数えるほどしかいませんでした。
現代においては、当時の政府が推進する軍拡ムードと同じ様相で消費増税をはじめとする緊縮財政が推進されています。
▶︎緊縮財政とは?わかりやすく解説
当時の『東亜解放の為、対米開戦やむなし』と、現代の『財政再建のための増税・緊縮やむなし』と重なるものがあります。
実は現代日本は、当時の石橋湛山が主張した一貫したリフレ政策から学ぶことが多くあるのです。