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バブル経済の生成と崩壊の原因は?
✅当記事の信頼性

日本の未来を応援するネコ(@lemon_remon_1)
この記事を書いている私は、株式を中心に資産運用をしながら金融経済分野を研究しています。日本には明るい未来が待っている事を信じて執筆しています。
バブル景気(バブルけいき、英: bubble boom)は、景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。
wikipediaより引用
こちらは大きなバブル崩壊までの流れです。

当記事では、1980年代末から起こった平成バブル経済とその崩壊についての原因と経緯について迫ります。
資産バブルの発生
1989年12月29日
日経平均株価は終値で38,957円の最高値を記録しまし、年明けの1990年1月から一転して暴落しました。
株価の大暴落をきっかけに1991年には土地価格も暴落をはじめます。
この時、戦後ながらくつづいた日本の経済成長は終わり、アベノミクス開始までの約20年間は、失われた20年と呼ばれる経済低迷期に突入したのです。

画像: 戦後日経平均株価と経済の全体像・筆者作成
次はバブル期とその崩壊後の土地価格の推移です。

このグラフを見ると、バブル期にはいかに不動産価格の上昇が異常なものだったかを確認できます。
当時は『東京都山手線内の土地価格でアメリカ全土が買える』といわれるまでに、国内の土地価格が膨れ上がっていました。
しかしその膨れあがった資産価格は、暴落も実に華々しく、そこから日本経済は失われた20年に突入しました。
バブル景気の原因
バブル崩壊の原因を理解するためには、なぜバブル(資産価格の暴騰)が起こったのかを理解しておきたいところです。
一般的に景気の変化は自然現象と思われがちですが、実は1986年から起こった資産価格の急上昇には明確な出来事があります。
✅プラザ合意
バブル景気の発端は、1985年9月、アメリカのプラザホテルにて行われた国際会議で決定したプラザ合意です。

写真:ニューヨーク・プラザホテル
プラザ合意(プラザごうい、英: Plaza Accord)とは、1985年9月22日、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。
wikipediaより引用
G5(米国,英国,旧西ドイツ,フランス,日本の5カ国蔵相会議)は、米国の要請にて行われました。
アメリカは1980年代初めから、財政と貿易の赤字に見舞われ、米国レーガン大統領が「強いドル政策(レーガノミクス)」を実施するも、あえなく失敗に終わります。

画像:レーガン大統領
そこで米国は、ドル高不況を脱却する目的として、なかば強制的にG5参加国に対してドル安政策を合意させました。
このプラザ合意によるドル安政策は、日本にとって急激な円高を意味します。
それまで、円安を武器に多くの輸出をおこなってきた日本にとって過度な円高は、日本の輸出業に大きなダメージを与えてしまいます。
このプラザ合意が、日本のバブル経済への発端となるのです。
✅金融緩和政策
プラザ合意は、アメリカの金利引き下げによるドル安政策の実施と、他国の金利引き上げによる通貨高政策の合意です。
これによってプラザ合意前には240円前後だったドル円レートが、約半値の120円台まで急上昇しました。

出典:Wikipedia・為替レートの推移
プラザ合意によって、日本は急激な円高に見舞われたのです。
その結果、日本は急激な貿易収支の赤字が起こり、円高不況が目の前まで迫ってきました。
そこで円高不況を回避する為に、日本銀行は大規模な公定歩合(政策金利)の引きさげによる金融緩和政策に踏みきったのです。
画像:プラザ合意前後の公定歩合推移
1985年のプラザ合意前には5%台だった公定歩合を2年間で2%台まで急激に引き下げました。1980年前の9%からは実に7%の金利の引き下げとなります。
この金融緩和政策によって市場の資金は不動産や資産市場に流れ、資産価格が上昇しました。ここから空前の好景気と楽観ムードが日本を包まれていくのです。
失われた20年についてはこちら⬇︎
金融政策についてはこちら⬇︎
資産市場と実体経済
このように、経済の先行きは金融政策によって大きく方向づけられます。
金融政策が私たち国民の生活に関わるには以下の工程を辿ります。
①金融政策の実施
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②資産価格の増減
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③企業業績の増減
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④賃金の増減

画像:岩田規久男日銀元副総裁講演資料にもとづき筆者が作成
上記の経路を辿って、金融政策が実体経済に与える影響にはタイムラグがあります。
例えば平成バブルにおいては株バブルのピークは1989年でしたが、実体経済においては1991年にピークを迎えます。
事実、バブル期の象徴として有名なディスコ『ジュリアナ東京』は1991年にオープンし、1994年のクローズまで活況を欲しいままにしていました。
画像:ジュリアナ東京 出典:産経ニュース
バブル期の実体経済では、ディスコや投資ブーム、トレンディードラマの流行など、楽観的なムードが世の中を覆っていきました。
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バブル崩壊の原因

バブルの原因が、公定歩合の引き下げによる金融緩和政策であったように、バブル崩壊の原因も、もちろん金融政策にあります。
※金融政策についてさらに詳しくは下記リンク記事を参照下さい
日銀によるバブルつぶし
バブル最盛期には土地価格の上昇によって、再開発のための地上げが社会問題化しました。
これをきっかけに、旧大蔵省と日本銀行がいわゆる「バブル潰し」を実行にうつします。
日本銀行、旧大蔵省の行ったバブル潰しの方法は大きく4つあります。
①公定歩合の引き上げ
②消費税の導入
③不動産関連融資の総量規制
④営業特金の禁止
前述したように、日本経済は経済政策によって決定します。
政府日銀が実施した上記の4つのバブルつぶしの中で、資産バブルを抑えるために本当に必要な政策は③番と④番だけでした。
なぜなら、平成バブルの実態は『資産価格』のバブルであって、インフレ率は正常だったからです。
しかし、日銀は物価全体を押し下げてしまう①番と②番の金融財政引き締め政策までおこなったおかげで、資産価格のみならず経済全体をデフレ不況に転落させてしまったのです。
このようにバブル景気は、政府と日銀、財務省の明確な意思のもとで潰されました。
①公定歩合の引き上げ
特にやってはいけなかった政策が、この公定歩合の引き上げ(金融引き締め)です。
当時2.5%であった公定歩合は約1年後の91年には6%にまで急激に引き上げられたのです。

画像:片岡剛士氏作成
社会問題化したバブルを潰したことで、三重野康日銀副総裁(当時)は「平成の鬼平」と称えられました。

画像:三重野元日銀総裁
しかし、ここから長い長い日本経済の衰退期に突入するとは大部分の国民は予想だにしていなかったでしょう。
そもそも、平成バブルは物価上昇がともなうインフレバブルではなく、不動産と株の価格だけが膨れ上がるいびつなバブルでした。
にも関わらず、経済全体を落としてしまう金融引き締め政策を行なってしまったために、資産価格のみならず、実態経済にまで大きなダメージを与えてしまいました。
その後、97年の不良債権問題顕在化と消費税率5%への引き上げによって、明確に経済衰退期に突入するのです。
②消費税率3%の導入
バブル潰しとの直接的な関係は不明ですが、1989年4月、竹下登内閣によって導入された消費税は、その後の景気低迷期を強固なものとしていく事になります。
前述した97年の消費税率5%の導入から日本のデフレ不況が顕在化します。
消費税は、国民の消費に対する税金を課す事で消費を低迷させる効果があります。結果として景気を抑制し、経済を縮小させるのです。
参考記事:消費税10%への増税は日本経済を破壊する
2019年10月には、ついに10%への増税が実施されましたが、今後の日本経済の再デフレ化に注意が必要です。
③不動産関連融資の総量規制
旧大蔵省は不動産投資への融資を抑制するための指導を銀行に実施しました。
これを総量規制と言います。
土地を買いたい人への融資規制は、買いたくても買えない、売りたくても売れない人を大量に生み出し、不動産が不良債権化する事は当然の末路です。
金融引き締めと同時におこなわれた結果、総量規制は不動産価格の大暴落につながりました。
金融引き締め政策とは別に、この政策だけを実施していれば結果は違っていたのでしょう。
④営業特金の禁止
株価の上昇を抑制させる目的として、営業特金が禁止されました。
当時、証券会社が顧客である企業や金融機関から資金の運用を一任された取引を営業特金と呼びました。
損失が出た場合は証券会社が補填する事で利益を約束する営業特金が横行していたのです。
これが株式市場の売買を活発化させ、市場が過熱する原因になっていた為、この営業特金が株価対策の標的にされたのです。
これもまた、金融引き締め政策がなければ適切なバブル対策だったのでしょう。
バブルの崩壊から学ぶ事
このような意図的なバブル潰しにはじまり、97年の本格的なデフレ不況に陥った原因は、紛れもなく金融政策の失敗でした。
政府日銀はこの過ちを認めて改善すべきでしたが、金融引き締め政策は2013年の※アベノミクス開始まで続けられました。
追い討ちをかけるように、財務省主導のもとで消費税を段階的に10%まで引き上げました。
この緊縮財政は国民の消費意欲をかき消して、デフレ不況を強固なものとしてしまったのです。
さらに、2020年現在。
新型コロナウイルスの感染拡大が世界を襲います。
国内の消費は大打撃をうけ、アベノミクスで好転した雇用情勢もかなり厳しい見通しとなっています。
経済再デフレ不況への突入が濃厚という厳しい状況です。
最後に、これから日本がおこなうべき経済対策を提示しておきます。
アベノミクスについてはこちら⬇︎
緊縮財政についてはこちら⬇︎
日本のデフレ脱却のために
日本の平成バブル期の失敗を研究し、リーマンショックや新型コロナウイルスによる経済危機への経済対策に成功しているのはアメリカです。
これだけ2つの大きな経済ショックを受けても、アメリカ経済はこの30年間、成長を続けています。

これはアメリカの代表的な株価指数であるダウ平均株価の長期推移チャートです。
アメリカは、惜しみない金融緩和政策と積極財政によって、右肩上がりに株価を更新させています。
【バブル高値に遠く及ばない日本】

一方でこちらは日経平均株価の推移です。
未だに、我が国日本は平成バブルの株価を超えられていません。
コロナショックによる経済対策としてアメリカやヨーロッパ諸国が金融緩和を続ける中で、日本が緩和に負けてしまえば待っているのは円高不況です。
最後に、これから日本経済をV字回復させるための経済対策を紹介します。
✅ 減税を含めた大規模な財政支出
✅雇用回復までの無制限金融緩和
この2つは優先順に記しました。
これだけ金融緩和の必要性を叫びながらなぜ今財政支出なのか?
と思うでしょう。
2020年現在、アベノミクスの大胆な金融政策によってある程度の通貨を発行してきました。
雇用も大きなダメージを受けて、物価目標もまったく達成出来ていない今としては、もちろん金融緩和政策もまだまだ足りません。
しかし、前述したように
金融政策の効果にはタイムラグ
があります。
今は日銀が金融緩和によって発行したこのお金を、コロナによって損害を受けた国民に、財政政策を用いて迅速に届けることが必要なのです。

今こそ私たちは、歴史に学び、正しい経済政策を理解し、明るい日本の未来を作るための判断材料を揃えていく必要があります。
バブル崩壊を経験してから日本人は、株式投資や不動産投資へのアレルギーを持つ人が多くなりました。
しかし過去の教訓から学び、未来に向けての資産運用を行う事は必要だと感じています。
参考記事:資産運用とは?
いつの日か、正しい経済政策への知識が浸透し、将来のために投資と消費が活発になされ、かのバブル期のように活気のある明るい日本が戻ってくる事を私は心待ちにしているのです。
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